『狼男の雄叫び』読了
とうとう、『狼男の雄叫び』を読了、および解析終了しました。
パラグラフ515の大作ゆえか、大学ノートに15ページほどの分量になりましたよ。その前の『巨人の影』は9ページで済んだし、別ブログの『王子の対決』も2冊で総計1000パラグラフという大作ながら10数ページでまとまったのに、何でこんなに分量を費やしたのか?
大きな理由は、選択肢の分岐がやたらと多くて、イベントが錯綜しているからだと思いますが、ゲーム本として読んだ感覚は、ソーサリー1巻の『シャムタンティ丘陵』と似たような雰囲気。
舞台が同じ〈旧世界〉ということもありますし、途中でアナランド出身の旅人ハンスってキャラが登場したりもして、懐かしい気分に駆られたりも。
ええと、ハンスと出会うのは、魔女っ子メグちゃんのいる宿屋〈首吊りの木亭〉で、家出した妹を探しての旅だそうな。妹とはバルシ村のカーニバルで出会うことができて、お兄ちゃんのことを教えてあげて、兄妹の再会劇の段取りを整えてあげることもできますが、本筋とはあまり関係ないサブイベントですな。
本筋は、狼男の呪いの元凶を探すために、スタート地点から遥か東のウルフェンシュタインの街を目指すことです。ラスボスとも言うべきウルフェンシュタイン家の領主は、技術点12、体力点16の強敵なんですが、初期状態の主人公の最高能力は技術点10。このままじゃ、まず勝てないところを、闇の力で自分もオオカミ男としてパワーアップしたりして、せめて対等に戦える状況に持っていきたいところです。
ボスの能力は、ソーサリー1巻のラスボス・マンティコアの技術点12、体力点18にほぼ近く、戦って倒すのが苦労しそうなのが分かります。しかも、単に能力的に強いだけでなく、いろいろとイベントが付いてくるので、一筋縄で行かない、と。
まず、バルサスみたいに、主人公に「仲間にならないか」と勧誘して来ます。この誘いにうっかり乗ってしまい、変化点チェックに成功する(2Dで変化点以下の出目を出す)と、主人公は群れのボスの言葉に逆らえず、真の狼男に覚醒してしまい、闇堕ちバッドエンドを迎えてしまいます。何て素敵なバッドエンドだろう、とゾワゾワします。
その誘惑を跳ね除け、バトルに突入するのですが、ここで重要なのが〈銀のダガー〉もしくは対狼男特効の〈WULFENの剣〉。どちらかを持たないと、狼男ボスにまともに傷を負わせることができないので、バッドエンド確定。
それらの武器を入手して、何とか順調に相手にダメージを与えて行くと、トドメを刺す前に、もう1イベント。満月が領主の居城のボス部屋を照らし、相手の体力点を回復させてしまいます。この満月パワーは主人公にも影響を与えて、ここで変化点チェック。成功すると、主人公の方も狼男パワーで強化されて、スーパー狼男パワーでボスにも優位に立ち回れます。力に酔い痴れながら、ラスボスを叩きのめすことも可能。
しかし、ラスボスに憑依していた狼憑きの元凶である悪魔が、最強の狼男に覚醒した主人公に憑依してしまい、主人公が闇の人狼王として君臨するバッドエンドです。魔王を倒すと、自分が魔王になってしまうという展開ですな。FFで言うなら、トカゲ王を倒して油断したところをゴンチョンに寄生されてしまい、トカゲ王の後継者になるようなものです。
ええと、闇堕ちエンドが3種類用意されていて、ラスボスの下僕になるエンド、ラスボス倒して自ら闇の王になるエンド、そしてラスボスを倒したけどライバルの女吸血鬼に魅了済みなので女伯爵さまの下僕になるエンドです。何て素晴らしい闇堕ちゲームでしょうか。同じバッドエンドなら、冒険の途中に無惨に殺されるよりは、こういう第2の人生を歩む系の「闇に染まってしまえば、それもまた一興」という堕落エンドの方が幸せかも、と考えてしまう自分がいます。まあ、あくまで空想妄想の範囲内で、ですけどね。
現実の自分は、小心者ながらヒーローにも憧れる善人の空想好き一般市民なもので(笑)。意に反して悪の主人に仕えると、ストレスが半端ないだろうし、魔王になるような器でもないな、と思いながら、でも「転生したら魔王だった」系の話は結構、楽しめます。魔王だからやりたい放題だけど、それだけだと物語としてつまらないので、障害をいろいろ設定します。大抵は、本来の力が封印されているので、最強の力を入手するために、いろいろ画策するんですけどね。
魔王にもライバルとなる勇者や神や別のライバル魔族なんかがいて、そいつらと対立したり、籠絡させたりして、自分の支配力を広げるのが魔王の王道なんですけど、作品によっては「ぼく、悪い魔王じゃないよ」と考えながら、ダンジョンの奥で引きこもりライフを堪能したり(ダンジョンに侵入して来た冒険者の対処で忙しくもあるけど)、田舎の辺境で可愛い魔獣ペットに囲まれてのスローライフとか、様々な転生魔王ものが今の世には溢れていますな。
逆に現代社会に転生した魔王が、生きにくい現代でバイト生活を頑張る「魔王さまともあろうものが、トホホ」と従者に嘆かれる系の転落魔王ものもあったりして、そこからどうハッピーな元魔王ライフを楽しむかなどなど、魔王ものもなかなか奥が深いわけで。
コミカルだったり、シリアスだったり、エログロだったり、意外とハートフルだったり、魔王人生もさまざま奥が深いってものです。むしろ、魔王視点から、人間の愚かさや身勝手さを批判してみたり、哲学的な話にも展開したりもする、と。
だけど、さすがにFFはヒーロー(勇者)を旨とする作品シリーズなので、完全に闇堕ちしちゃうとバッドエンドにならざるを得ないヒーロー冒険譚なんですが、それでも闇を以て闇を討つ系の作品とか(『モンスター誕生』など)、冒険中の選択肢によっては小悪党的なならず者ロールプレイできる作品とか、光と闇の境界線上でサバイバルを頑張る作品も結構ある。聖人君子だけを持ち上げる作風でもない。
で、本作は闇堕ちの呪いを受けた主人公がその呪いに苛まれながらも、最後は自分とルプラヴィアの地を、闇の呪いから解放できればグッドエンドという作品。そして途中で果たせず、死亡バッドエンドと、闇堕ちバッドエンドがいろいろと用意されている、と。
いやあ、ここまで闇堕ち文章が、丹念に描写されているFFも珍しかったな。凄いよ、ジョナサン・グリーン。実に闇堕ちリビドーを刺激してくれる良作です。
考えてみれば、呪いからの解放という点では、『雪の魔女の洞窟』にも通じるものがある。うちのリプレイでは、雪の魔女シャリーラの悪霊が女主人公に憑依同化するというオリジナル展開(心の中での対立と和解共存的な結末)で、自分の好みの話に2次創作的改変を行いましたが、そういう自分のツボを『狼男の雄叫び』は見事に突いてくれました。
まあ、さすがにゲームとしてプレイする場合は、バッドエンドは物語を途中で断ち切るものなので、残念と感じるわけですが、読み物として堪能する場合や、様々な選択肢を比較解析するなら、ゲーム上の勝ち負けとは関係なく、バッドエンドも味があっていい、と感じられるわけで、本作はそういう楽しみ方で初読みを楽しめたな、と。
ゲームじゃなくて、先に分岐小説として楽しむことができた、と。
ゲーム構造として
さて、読み物として楽しめた本作ですが、自由度も本当に高い。
『銀のダガー集め』というのがラスボス退治を有利にするための一つの目的になるわけですが、5本全てを回収するのは結構大変。正解ルートをしっかりチェックしないと、取りこぼしが出ちゃう、と。
一応、5本の入手順を簡単に記載すると、
- バルシ村のカーニバルでヘビ女のサーペンサを倒して、その所持品から回収。
- マウンの吸血鬼領主イゾルデ女伯爵を倒して、その宝から回収。
- 昆虫人間に変異した黒僧侶の僧院(マウンの東の砦)を探索中に拾う。
- ヴァーゲンホーフの街の北の岩山にあるサンダーピークの洞窟にて、ゴブリン盗賊の遺体から回収。持ち主はクモ女のアラネイア。
- ウルフェンシュタインの領主館で、隠し扉を見つけて回収。
他に、この5本のダガーが、〈地獄の名士会〉という黒魔術に魅入られた5人の貴族や地元の有力者のグループによる悪魔召喚儀式で使われた由緒正しき物品であるという情報を、闇を研究している学者のヴェレティクスさんから聞くことができたり、
5本のダガーを全て集め、最後の領主館にある図書室で、悪魔を退散させる儀式の書かれた書物を見つけて、領主撃退後に儀式を遂行すれば、完全攻略と言えましょうか。
とにかく、背景情報をいろいろ知るためには、しっかり解析しないといけません。
途中の分岐がいろいろあって、全てを知るのも結構、苦労したな、と。
で、たぶん、イベントをことごとくスルーして、真っ直ぐウルフェンシュタインに向かうことをしなければ、〈銀のダガー〉の何本かは回収できると思うのですが、5本全部を集めるのは『アランシアの暗殺者』を全員倒すことよりも厳しいと思うのですね。何せ、暗殺者と違って、〈銀のダガー〉はこちらを襲撃して来ませんから。
特に黒僧侶の僧院やサンダーピークの洞窟は、存在に気づかず、場所そのものを通り過ぎる可能性が非常に大きい。解析のためにパラグラフしらみつぶしでフローチャートを書きながらプレイして、もしくは読み進めているのでもない限り、初見でそこに行き着くのは、偶然のラッキーによるものだと思います。
しかも、中はダンジョンになっていて、しかもダンジョンのボスの宝物庫に保管されているわけじゃない。ダンジョンの一角に落ちてあるのを偶然に発見する形です。アラネイアの場合は、盗っ人ゴブリンが宝物庫から盗んだのはいいものの、配下のクモに殺されたって経緯。盗っ人は始末されたけど、ダガーは回収されなかったので、アラネイアが必死に探しているという状況に主人公が出くわすわけですね。
一方、黒僧侶の方は、もっと話が雑です。知性を失った虫に成り果てた彼は、もはや〈銀のダガー〉が何を意味するのかも分からないまま、ろくに管理もできずに、ダンジョンにポイ捨てされたような感じです。
悪魔召喚の儀式に参加した5人の名士の末路は多種多彩で、その中での出世頭がラスボス狼男。一方に対抗馬が女吸血鬼のイゾルデで、残りは醜い魔物に成り果てて、カーニバルの見せ物になったり、変異昆虫教団というカルトな連中の教祖として世話されたり、クモ女として洞窟に巣食っていたりします。
そんな連中をことごとく退治して、古の儀式の因縁を断ち切る物語でもあるわけですが、それが唯一絶対の解だと、本作の難易度は非常に跳ね上がります。
多数ある分岐の中から、たった一つの正解ルートを見つけ出す作品であれば、本作は『死の罠の地下迷宮』や『迷宮探検競技』レベルの難解作品になっていたことでしょう。
だけど、〈銀のダガー〉は1本あれば、クリアできるわけです。極端に言えば、道中のダンジョンは一切スルーして、ひたすら真っ直ぐウルフェンシュタインに急いで、その館の隠し扉を開けて、ダガーを見つけるだけでも、ボスキャラを倒すことは可能です。
まあ、ボスが強いので、道中の強化イベントをすっ飛ばして何とかなるかは不明ですが、戦闘でのダイス運が良ければ、何とかなるだろう、たぶん。
で、ダガーを全部集めなくてもクリアはできるけど、少しでも多く集めていると、悪魔退散の儀式ができなかった場合に出現する悪魔、真のラスボスになるかもしれない狼デーモン(技術点10、体力点14)との戦いで、入手済みのダガーの本数×2点だけ相手の体力点を減らすことができます。
狼デーモンは領主ほどは強くないですが、それでも領主相手に負傷したであろう身で、連戦するには技術点10は手強すぎる。まあ、力押しとダイス運で勝てなくはないのでしょうが、不可能じゃないけど、なかなか厳しいゲームバランスかな、と。
で、そんなキツいのは勘弁してくれ、と涙ながらに訴える人のために、作者のジョナサン・グリーンが用意してくれたのが〈WULFENの剣〉です。
これを入手するには、マウンを出てから、東の黒僧侶の僧院ではなく、西の廃墟を探索しないといけなくて、すなわちダガーを5本とも回収することを諦めないといけないわけですが、これさえあれば、ラスボス領主も怖くはない。何せ、相手の技術点を1点下げますし、与えるダメージも通常の2点ではなくて3点。
ダガーでも3点ダメージは与えられるのですが、ダガーには攻撃力マイナス1のペナルティーがあるので、必ずしもボスに有利というわけではないのですね。単純に領主を効率よく撃退しようと思えば、〈WULFENの剣〉こそが伝説の名刀であり、勇者の剣と言うべきでしょう。
どうしても、領主に勝てなくて悪戦苦闘しているプレイヤーさんには、この〈WULFENの剣〉をお勧めしておきます。マウンの西の廃墟をくまなく探してください。これで君も狼男キラーだ。まあ、狼男の身体強化作用にもお世話になるんだろうけどさ。
つまり、光の聖剣パワーと、闇の呪いパワーの合わせ技で、闇ボスを倒してハッピーエンドを目指せってことですね。
ともあれ、〈WULFENの剣〉さえゲットすれば、道中のイベントをショートカットしまくりでも普通にクリアできると思いますね。
だって、銀のダガーを集めるには、中ボスバトルとか面倒なダンジョン突破をいろいろ頑張らないといけないし、そういうのを全部ショートカットして、余裕をもって最短ルート攻略ができる逸品だと思う。
あ、ええと、〈WULFENの剣〉を起動するには、その名称に関わるキーナンバーを示さなければいけません。このゲーム、キーワードによるフラグ管理とか(逆読みするとフラグの意味が分かって面白い)、文字を数字に置き換えてパラグラフジャンプする仕掛けとか、細かく紛れ込んでいて、読むだけじゃ進めにくい箇所もそれなりにある、と。
『サラモニスの秘密』の綴り魔法的な、言語依存のパズルが時々あって、それを上手く日本語でプレイできるようにしてくれた翻訳者の羽田紗久椰さんにお見事と称賛感謝申し上げつつ。
シャムタンティ丘陵との類似性
で、ラスボスを退治するためのヒントめいたものを書いてみましたが、本作のルプラヴィアの旅は、目的地を目指して、街道や森を通り抜けながら、集落巡りをして、そこで発生する事件を解決したりしながら、道中のダンジョン(洞窟だったり建物だったり)を探索したりしていくゲーム。
FFシリーズでは、ダンジョン物からスタートして、野外冒険、都市冒険とジャンルを広げていき、第7巻『トカゲ王の島』で野外探索と、道中に立ち入るダンジョンの構図を確立。まあ、『トカゲ王の島』は集落での買い物や情報収集が欠落しているので、まだまだ過渡期な作品だったりしたのですが、FFシリーズで初めて、そういう野外とダンジョン、集落巡りを行った作品がソーサリー1巻『シャムタンティ丘陵』だったと思います。
英ジャクソンは、NPCとの会話による情報収集を初期から大事にしたゲームブック作家で、『シャムタンティ丘陵』は魔法システムの面白さも秀逸ですが、旅先の癖ある住人とのやり取りや、野外の危険(各種いたずら妖精のあれこれが印象的)やら、不意に立ち入った洞窟での掘り出し物とか、後の目からはオーソドックスに見えますが、FFゲームブックの流れからは実にバラエティに富んだ冒険譚として初物尽くしの傑作だったと思います。
それまでは冒険中に、野外あり、ダンジョンあり、集落ありの3点そろった作品はFFシリーズでなかったわけですから。
リビングストンの傑作ショートキャンペーン『雪の魔女の洞窟』は一通り揃っているように見えて、ドワーフの街ストーンブリッジは途中、少し立ち寄っただけですからね。ストーンブリッジでのイベントは、仲間のスタッブと別れるぐらいで、そこの施設を巡ったり、酒場で情報収集とか買い物とかはせずに、すぐに野外の旅に戻った。
リビングストンは『盗賊都市』でシティアドベンチャーを描いた後は、意外としばらく都市冒険を書いていないのです。都市や集落は出るけど、あくまで背景で、そこでの情報収集はメインじゃない。
で、久々に『危難の港』や『巨人の影』で都市冒険の雰囲気を味わったな、と。『アランシアの暗殺者』はカアドの街を訪れたけど、都市の散策よりは暗殺者の襲撃を切り抜ける方がメインだったし。
野外、ダンジョン、集落の3つがバランスよく混入した作品はなかなか珍しいと思っているわけですが、ソーサリーを除いて、それを初めて描いた作品は11巻『死神の首飾り』だと考えます。
旅先の街や村で情報聞いて、地元を脅かす魔物を退治して、次の街に旅立つことを繰り返すのはドラクエなどのコンピューターRPGの定番で、いくつもの集落を旅して回って事件を解決する旅ものの雰囲気が本作には濃厚に溢れています。
最初にストリゴイヴァ村を訪れ、上手く立ち回れば(狼男の呪いがバレなければ)、周辺世界の情報を村長のコンラッドさんが語ってくれます。
北がバルシで、東がマウン、その先の森の向こうにはヴァーゲンホーフがあって、さらに先にウルフェンシュタインがある。集落名だけで5種類。大都市とは異なる村単位の小集落で、地図にも載っていない(というかFFコレクション5は、地図が掲載された作品が一つもない未開感覚が濃厚)田舎の地域って感じなのですが、だからこそ自分で地名を聞いて、位置関係をノートに記入してイメージをつかむ必要があるわけですね。
この地図にない地名を、自分で作っていく作業がソーサリー1巻の記憶を喚起してくれるわけです。
「まずはカントパーニへの道をたどるといい。そこは交易商人たちの小さな居留地だ。カントパーニから先の港街カーレへは、ビリタンティを抜けて道が三つある……」
こんな感じの大雑把な説明で、見送ってくれたサイトマスターの軍曹を思い出しながら、クリスタタンティ、トレパーニ(スヴィンの村)、ダンパス、エルヴィンの谷、シャンカーの鉱山……と言った地名を自作の地図に書き込んでいたのと同じような感覚で、本を読んでいたなあ、とか。
アランシアだとおおよその地形はマップで把握しているので、あとはダンジョンの地図とか一部だけになるのですが、今回は未踏のモーリステシアの地で、初めて聞く地名ばかり。
シャムタンティ丘陵が、語感が割とイタリア語風味のラテン感覚なのに対し、今回のルプラヴィアは東欧風のドイツ語派生のゲルマン語感覚。でも、人名なんかはロシア風のスラブ語感覚が混じっていて、雰囲気がなかなか重い感じ。
ともあれ、FFシリーズで複数集落を巡りに巡る作品というのは多くない*1ので、ああ、何だかいかにも旅してるなあ、と感じたものです。
森や山地帯などをさすらい歩いている野外冒険は結構、あるのですが、それらは旅って感覚が薄いんですな。やっぱ、旅だと「この先の道を東にまっすぐ進むと◯◯の街があって、また途中の十字路を北に向かえば寺院が、南には湖と小さな漁村がある」とか教えてくれる人がいて、事前情報でワクワクさせて欲しいと思ったり。
「この先は誰も行って帰って来た者がいない未開の荒野じゃ。まあ、運が良ければ遊牧民の一団に遭遇できて、何やら聞けるかもしれんが、彼らを怒らせると危険じゃから、気をつけるといい。わしに言えるのはこれだけじゃ」などと、最低限の情報しかくれないのは、旅というよりは危難の冒険って感じなんですな。
たぶん、アランシアは危難の地で、旅先の情報は少なく、旧世界の方が未開地であっても、そういう情報を教えてくれる親切な村人が多い土地柄なのかもしれない。
まあ、背景情報を語りたがるNPCが多いのは、作者のジョナサン・グリーンの作風かもしれませんが、いろいろと断片的な情報から見えてくる背景が浮かび上がる様は、良質のミステリーを読んでいるような感覚もあって、ゲームとしてプレイしなくても楽しかったな、という感想。
これは、ジャクソンやリビングストンの作品とは、また違った読み応えだと思います。細やかな分岐に情報が濃密に隠れている感じで、想像力で補完しなくても引きずり込まれる感覚が新鮮。これがこの作品のゴシック要素と自分の相性ゆえなのか、それとも作者の作風全体に息づいているのかは、今後の作品に触れた際にまた考えたい、と。
同行者がよく死ぬゲーム
ゲームの主人公に感情移入しすぎると、仲間の死というイベントで涙目が止まらないケースがたまにあります。特に春先の今の時期は、体質的にもキツい。
で、死ぬことがあらかじめ予想できる場合は、覚悟を決めて、感情移入を断ち切ることで予防しているわけですが、ゲームの場合は、仲間の生存ルートと死亡ルートがあると、まだ救いがあります。バッドエンドと同じで、生存ルートを正史と見なし、死んだのをIFルートと考えればいい。
しかし、生存ルートがなくて、避けられない死を突きつけられると、特に自分(主人公)を助けてくれた親切なNPCが唐突に死んじゃうと、うぉ〜と心で叫んで、涙目モードになって、何とか生かせる選択肢はなかったのか、とか、なければ自分で作る! と頭の中に妄想の嵐が吹き荒れてから、ようやくキャラの死を受け入れるか、生存ルートのプロットを形にするか、などいろいろ情動を刺激されるわけですな。
我ながら、所詮ゲームだと思って割り切れよ、と冷静にツッコむ自分もいるにはいるのですが、感情は理屈じゃない! と突っぱねる自分の心が優勢な時も多く、そして、そういう感じ方をしている時の方が作品を楽しんでいるわけですな。
で、FFコレクションで初めて、それを味わったのは、『火吹山ふたたび』のズート・ジンマーです。良いキャラだったのに、死ぬのが呆気なさ過ぎる。
次に、FFコレクション1では、『モンスター誕生』のハーフオークのグロッグさんに久々に感情移入しましたよ。こうなるのは分かっていたはずなのに、またも涙目モード。
FFコレクション2では、『死の罠の地下迷宮』でスロムの生存物語を考えたぐらいは愛着を覚えましたし、『危難の港』ではハカサンが生き残ったときは、大いに喜びました。
FFコレクション3は、死亡キャラのオンパレードですな。『トカゲ王の島』のマンゴ、『雪の魔女の洞窟』のレッドスウィフトとか、死が予定されているスタッブとか。もう、この辺のキャラの死は、あらかじめ分かっていたことなので、その分の自分の情感をいかに2次創作に落とし込んで、死を昇華するエピソードにするかにチャレンジした、と。
一方、新作の『アランシアの暗殺者』では、サミュエル・クロウ船長が印象的でした。主人公の賭け勝負の相手ですが、結構義理堅いおじさんで、大事な情報をくれて役割果たして散って行きます。そう、物語を進めるための情報くれるという単機能型NPCに過ぎず、役割果たしたら、あっさり退場して然るべきキャラなんですが、そうやって使い捨てられたキャラにも、いろいろと情を残して、脳内補完したくなるわけですな。
FFコレクション4だと、まだ『サラモニスの秘密』しか、ここでは攻略していませんが、名前のあるメインキャラが最後に集結して、概ね生存してくれたので、後味が良かったですな。同時収録のソーサリーでも、改編部分でミニマイトのジャンがきちんと主人公といっしょに脱出エンドを迎えたことを知って、敵の砦に放置しっぱなしという話がきれいにすっきりまとまったことでニッコリと。
コレクションに未収録で、ここでクリアした作品は、『アーロック』のラスボス……になり損ねたル・バスティンに自分なりの未来を与えて、何とか納得度を高め、『奈落の帝王』については……人がどんどん死んでいく陰鬱なストーリーは改編しようもなく、まあ、主人公が敵ボスを倒して、新たな〈奈落の帝王〉になる独特のエンディングを味わったな、と。
それにしても、『アーロック』といい、『奈落の帝王』といい、『王子の対決』といい、自分がプレイし残していたFF作品は、主人公が何らかの形で王になる大団円が続いてますな。他に、王になるFF主人公って誰かいたかなあ、とぼんやり考えてみる。
あ、『最後の戦士』も王子が主人公だから、ゲームクリア後は王になることがほぼ確定だな。
で、本作『狼男の雄叫び』もバッドエンドで邪悪な狼憑きの王になる展開があるわけですが、
それよりも仲間キャラの死の話に戻ります。
もう、同行者死亡率が非常に高い作品なんですよね、これ。
まず、最初の同行者である森番ウルリッヒ。実は彼もライカンスローピーに冒されていて、狼男との戦いで抑えていた症状が発症して、クマ男と化して、主人公に襲いかかります。主人公は親切にしてくれた彼に泣く泣く刃を突き刺すことになるわけですが、このウルリッヒさん、主人公を恨むことなく「呪いから解放してくれてありがとう」とお礼を言って事切れます。
で、ジョナサン・グリーンは丁寧な文章書きなので、ウルリッヒさんの亡骸を放置することなく、主人公にしっかり墓を作って埋葬するシーンを描いてくれます。ここに自分は感じ入りました。『雪の魔女の洞窟』で、イエティに殺された猟師のために本文では描かれていない埋葬シーンを付与したぐらいの脳内補完をしたくなる自分ですが、こっちが脳内補完しなくても、きちんと主人公の感情を描写して、ただのゲームではない物語としての情感描写をきちんと書いてくれる。
これがあまりにプレイヤーの心情と外れた行動をしてくれると、『アーロック』みたいに感情移入しにくい主人公になるわけですが、ジョナサン・グリーンは本当に感情描写が上手いなあ、と。
でも、容赦なく殺して来ますね(苦笑)。
続いて、吸血鬼ハンターのヴァン・リヒテン。
接し方を間違えると、狼憑きの主人公を邪悪と見なして襲いかかって来て、主人公に返り討ちにされてしまう残念キャラなんですが、
こちらが上手く立ち回ると、共に邪悪に立ち向かう親友として、いい相棒関係を構築できます。で、共に女吸血鬼のイゾルデに立ち向かうわけですが、彼女の魅了にハマらないようにするためには、ヴァン・リヒテンが最強のお守りなんですな。
で、このリヒテンさんはイゾルデの執事の人コウモリ(技8、体8)と戦って、相討ち的に死んでしまいます。リヒテンさんの能力は技10、体9で決して低くはないのですが、敵と組み合いながら、高い塔の7階から共に落下したわけだから、ほとんど事故死に近い末路なんですな。
退魔狩人の寿命は短いんだなあ、と感じたり。
そして、次に同行する(かもしれない)人獣ハンターが、文中で「険しい表情の美女」と表現されている〈真紅の外套のカーチャ〉さん。
ヴァーゲンホーフの街の人魔狩りイベントで登場して、しばらく同行するわけですが、ウルフェンシュタインに到着した途端、人ワーグ(技7、体8)と戦って、やはり相討ちで死亡します。主人公に、この地を闇から解放する願いを託して。
もう、NPCが男だろうが、女だろうが、お構いなく殺してくるのがジョナサン・グリーンですな。そこは男女平等です。
ツッコミどころを言うなら、たかだか技術点7の敵と戦って、相討ちしているようでは、この先、退魔狩人として生き存えることは難しかったと思われます。元々の出会いのときだって、技術点8の人魔と戦って死にかけていたところを主人公に助けられたわけですから。
ともあれ、たった1冊のゲームブックで、同行者3人と死に別れることになった、本作の狼男主人公には、〈死神〉の称号を与えてもいいかな、と思います。
以上、割と情感溢れるゲームブック・ストーリーを構築し、NPCとの人間関係も面白く描写してくれて、感情移入させて来るなあと思っていたら、無惨に男だろうと女だろうと遠慮なく殺して、NOVAの涙目を大いに刺激してきた作家がジョナサン・グリーンだな、と第一印象です。
面白かったんだけど、これを攻略記事に落とし込むには、もう少し冷静さが回復するのを待たないとなあ。何せ、女吸血鬼のイゾルデ様を、イザベラと誤認して記事書きしてきて、先ほどようやく気づいて直しまくった後だから、興奮状態を冷ますのに時が必要だ、と感じつつ。
以上で、初読了の感想文終了です。
正式なプレイはまた別の機会に。
(当記事 完)
*1:たいていは、冒険の舞台となるダンジョンと、ホームタウンの大都市や街村が1つ。たまにスタート地点の街と、旅先にもう一つって感じで、3つ以上の街村を巡る作品はわずかばかり。まあ、孤立した塔や屋敷、農場と小屋、山小屋などのポツンと一軒家みたいなのはそこらじゅうに点在してはいるのですが。